よく人と意見が食い違うことってあるじゃないですか。けど何がどうあれ、事実は変わらないんですよね。
なぜその意見を採用したのか?という疑問を根底から筋道立てて考えられる場合、矛盾がなければツッコミどころはなかなかありません。
意見が食い違っても事実は変わらないし究極的には干渉できない
どんなに意見が食い違っていても、正直何を大切にするかで答えが変わるのは当然です。なので本質部分さえ追求できれば、ぶつかることはありません。
しかし意外とその本質部分を押さえず、矛盾したまま話が噛み合わない人もいます。その際に相手が大切にしているのは、事実よりも自分の優位性です。
突き詰めれば事実は同じ
究極的には個人の好みや環境・特性に合った選択をしているだけなので、他人が干渉できるはずはありません。
例えば早く帰りたいからといって、信号無視をしたらリスクが高まりますよね。そのリスクを踏まえた上で行動しているならどうしようもありません。
しかし中には何事もないまま信号無視をしたい、という矛盾を抱えている人がいます。極論ではなく、たとえ話として比較していただきたいです。
リスクがあるから危険が伴う、であれば安全な方法を選択する。リスクを許容した上で選択するなら、対価を払う必要があります。
事実を覆すことはできない
つまり何をしたらどうなるか、という事実は変わらないわけです。ここを押さえていれば、自分に何が起こるかわかるし影響も対処も把握できます。
しかし矛盾を抱えている人の場合、他者への影響をガン無視で考えてしまうわけですよ。
そういうときに「なぜそうなるの?」と突き詰めても、要領の得ない返答で会話が噛み合いません。
事実を捻じ曲げてしまうとあらゆる面で問題が生じ、どう考えているのかと追求を受けるキッカケにもなるでしょう。
筋道立てられればあとは個人の問題
矛盾点に気付けるから覆せるのであって、矛盾してなければ如何に頭がいい人でも事実を覆すことはできません。
つまり事実を並べて比較できれば、同じ着眼点に行き着くわけです。あとは何を大事にするか、どの選択を取るかという話になります。
逆に言われて初めて気付く着眼点もあるわけで、憶測に近いけど信憑性が高いとかさまざまな可能性もあるんですよね。
なのでぶつかるというより、意見が深まるという結果になることもあります。多くは感情で矛盾を支配しようとしますけどね。
まとめ:意見が妙に食い違って話にならないときは事実を冷静に書き出すといいかも
変な同調圧力とかもあるし、自分がどんな見方をしているか判断できない場合もあります。
しかしあくまで事実は変わらないものなので、冷静に比較してまとめられれば全く問題ありません。