うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

必要としてもらいたいと思っていても自分じゃないといけないものはない

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おそらく誰しも「自分を必要としてもらいたい」って思っているはず。家族とか友人とか、会社・社会…自分の所属しているコミュニティに必要とされたいと。

ただ究極的には自分じゃなきゃダメとか、絶対にいないと困る存在なんて無いと思っています。結局なければ替えが利くし、なんとかなりますからね。

その人じゃなきゃダメというのはあんまり無いから気負う必要はない

自身が社会人になって数年後、リーダーとして「必要とされている」なんて勘違いしていた時期があります。責任感に押しつぶされそうな場面もたくさんありました。

でもそんな環境も離れたし、今となっては「その人じゃなきゃいけない」なんてものは全く無いなぁと思うのです。

多くの場合替えが利く

どんなにゼロから作り上げたものでも、多くの場合は替えが利きます。素晴らしい作品は唯一無二だけど、他者の生に直結はしません。

生み出したものや考え方、あらゆるものはその人じゃなきゃ出来ないものばかり。でもそのもの自体は、他者にとって絶対必要な存在ではないというイメージです。

会社で言えば誰かが辞めたところで替えを用意するし、用意できなきゃ潰れるだけ。使っていたサービスは代替があって、違うところへ流れていくでしょう。

突き詰めれば、自身が絶対必要とされるものって無いんですよね。あったとしても勘違いしているか、依存による目的のすり替えくらいかなと。

存在を証明するために必要とされたい

やはり自分の存在価値を認識するなら、手っ取り早く「誰かに必要とされている」ことを思い込むのが良いでしょう。わかりやすく明快ですし。

でもおそらく多くの方はその考え方がまやかしだと理解していて、失うことに怯えて身を粉にしちゃうんじゃないかと思います。

そういう状況だと基準が自分じゃなくて他者だから、どんどん自分らしくない行動をしてしまって疲れちゃうわけです。

自分の存在を証明するのも大切だけど、本来は誰からも必要とされてないしそもそも存在価値なんてありません。

どこにいてもいいし本来もっと自由だと思う

どこかにいないと生きていけないとか、自分を固定させてしまうと揺らいだときに大きな不安が押し寄せてきます。

でも誰からも必要とされていないし、なんとかなることを知っていればもっと自由なことに気付けるはず。

人間関係も本来はもっと選べます。悩む人は多いけど、執着が多いほど我慢を強いられてしまうでしょう。

といっても多くの場合は理解してもらえないよな~なんて思うのでした。

まとめ:意外と自分じゃなくてもなんとかなるものは多いから勘違いは禁物

その人じゃなきゃダメ!という方がいて、思い込みが強いほど失ったときに抱く絶望感は相当なものだと知っています。

ただ間接的に影響はあっても、完全な個だから連動しているわけではないんですよね。