うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

なんだか肩書きに深くこだわる人めっちゃ多いなぁって思うんですよね

f:id:uenoyou111:20210627195030j:plain

確かに肩書きってめっちゃ便利ですよね。パッと伝えれば、誰が何をやっているかすぐにわかっちゃいます。

伝える分には全然構わないけど、その言葉に強いこだわりを持つのって無駄だと思っているんですよね。そこまで重要なものでしょうか。

肩書きに誇りを持つのは良いけど自身の狭い範囲を切り取っただけに過ぎない

例えば私は、ここで言うならブロガーが一番わかりやすいでしょうか。ブログ執筆者を指す言葉として、非常に端的で分かりやすいですよね。

何かを伝えるのはめちゃくちゃ良いんですけど、ブロガー自体に誇りを持って行動するのってどうかなぁと考えています。

肩書きが何かを生み出しているんじゃなくて、自分が何を生み出しているかじゃないでしょうか。

肩書きはあくまで伝えるためのツール

肩書き自体、ただの言葉です。相手にわかりやすく伝えたり、自分がどの位置にいるか把握したりするためのツールに等しいでしょう。

もちろん職種や自分のしていることに誇りを持ち、プロ意識で肩書きを名乗る分には全く問題ありません。

しかし何度も伝えるように、その肩書き自体が素晴らしいわけじゃありません。どんなに高名な医者でも、悪行に手を染めることもあるはず。

かといって全く知名度のない方でも多くの命を救うことがあります。要は肩書きだけでカテゴライズしたら、悪いものも良いものも一緒くたになるでしょう。

実質肩書きは意味がないものだと思う

以前から肩書きって空虚だなぁって思っていたんですよね。よくある肩書きにこだわる人や、肩書きだけで判断しちゃう人に対する違和感です。

よく揚げ足取りで「そんなのはクリエイターじゃない」とか、「○○のやることじゃない」なんて言葉をあちこちで見かけます。

前者は旧来の職種と比較して、ニワカのくせに…みたいな言い回しなんですよね。後者は勝手なイメージ像と、前提の過ちと論理のすり替えが多いです。

肩書きだけで一緒くたに判断すれば、良い人も悪い人も一緒じゃないですか。その視野の狭さって、合理性よりも感情が前面に出すぎちゃっていますよね。

肩書きにとらわれ過ぎると本質を見失う

肩書きに固執したり、判断しちゃったりする人は本質から遠ざかります。例えば自分がWebライターだとするじゃないですか。

クライアントさんからの依頼で、Webコンテンツの制作を行います。

けどたまたま使える技術がライティングというだけで、本質はクライアントさんの悩みを解決することですよね。

自分が型にハマろうとすれば、視野が狭くなって他人にも強要してしまいます。すると本質から遠ざかり、相手の求めていることや合理性が失われやすいです。

まとめ:意味のないものに固執するより自分単位で見たほうが価値は高い

例えば私はライター・ディレクター・クリエイター…、ほかにも多くの肩書きを持ち出せます。でもぶっちゃけ話を合わせるのに使うだけです。

実際は何を生み出しているか、今後何をしていくかにこだわったほうが遥かに意味があります。