ふと周囲の人と話している際、どうも体感時間に差があるなぁと感じるんですよね。もう一年か~早いなあぁと口々に言っています。
でもなぜか私は、その一年がかなり長く感じられるんです。過ぎている時間は一緒なのに、自身の感覚と他人の感覚がいつも合いません。
おそらく時間当たりの充実度というか密度が濃いと体感時間が変わるのでは?
私はもう気付けばずっと、密度の濃い時間を過ごしています。本業&副業とかブラック企業とか。おそらくこの感覚が大きいのでは?と思いました。
とにかく一年が長いんですよ、もう一年か~じゃないんですよ。まだ一年なの…?という感覚でしかないです。
充実時程錯覚というものがあるらしい
調べてみると、充実時程錯覚という言葉に行き着きました。まずはこの動画を見てみましょう。
どっちの時間が長く感じられますかね?私は後半の3倍が長く感じられたんですけど、どうやら同じ時間とのこと。
秒数見ながら観察していたら、あ~同じだなぁと思います。この感覚が体感時間に作用するかどうかは不明だけど、一理あると感じるんですよね。
充実した濃い時間を過ごしていると、時間経つの早いって言うじゃないですか。でも実は慣れていないだけで、毎日密度が濃いと体感時間が長くなるのかもしれません。
同じことを繰り返していれば刺激は少ない
私のイメージですけど、社会人になると決まった仕事がずっと続きますよね。新しいプロジェクトとか、何か自分で新たなものを作り続ける状況が続くなら別です。
ただそういったアクティブな作業がメインになるのは、ごく一部に感じます。多くの仕事は一定の品質を提供するために用意されるし、人も安定を求めますからね。
一般的な社会人と事業主を比較すると、圧倒的に刺激が違うんですよ。そして単純に楽しく感じられるので、結果として密度の濃い時間を過ごしています。
とはいえ会社員を否定するわけではありません。どこかでバランスが保てていれば、何もしていないように見える時間も刺激に変わります。
何もしていない時間でも発見次第で変わる
例えば今までキャンプをしたこと無い人がキャンプして、何もない時間を過ごしていたとします。何かしていたわけじゃなくても、おそらく刺激で溢れているはず。
つまり刺激は動的や静的に関わらず、自分自身の心を動かす経験。発見とかにつながるんじゃないかと考えるわけです。
あくまで自分に向いている過ごし方の中で、多くの発見を得られると時間密度が高くなるんじゃないかと。
毎日同じような時間を過ごしていると感じたら、時間あたりの発見がなくなってきている証拠です。
まとめ:年齢を重ねても常に新しい発見を得続けたい
実は本業だけに集中していた時期って、2年半くらいしかありません。でもそのときは環境が目まぐるしく変わった時期だし、刺激には溢れていたかも。
けどあのときは後半から仕事が同じことの繰り返しで、つまらなかった印象です。新たな発見も少なかったなぁ。