よく自分のしたことは返ってくる、というオカルトっぽい言い方がありますよね。でも実際、されたことって善悪に関わらず返したくなるじゃないですか。
とくに悪いことは覚えている人も多いので、いつかその恨みを返されるときが来ます。そうなると、普段していることって大きい影響を与えますよね。
自分のしたことが返ってくるなら良いことをし続ければ好転しやすい
多くの自己啓発本でも、テイカーよりギバーになれとか言いますよね。でも本当に人はされたことを返したくなる生き物です。
だからこそ関わる人に良いことを与え続けられれば、良いことが返ってくる割合は高くなる。そんな感じでしょう。
良いコンテンツを提供し続けるのも一緒
私は人と関わる上で、とくに何も提供していないはず。このブログも感じたことを吐き出すだけの日記です。見ている人の役に立っているとも思えません。
しかし日夜コンテンツを作り続ける仕事なので、きっとそっちのほうは誰かの役に立っているかもです。
良いコンテンツを作るのが好きだけど、結果的に誰かを救っているかもしれない。そう考えると、今の生活が成り立つのは返報性なのかもしれませんね。
だからどういった形であれ、やはり誰かが良い思いを感じ取ればいいのかなと。違った形で返って来るのではと最近感じます。
ただし無償で搾取され続けるのは違う
中には搾取され続けてしまう人もいます。返したくなる人がいる一方で、搾取し続けたい人がいるのも事実です。
ただ私としては、与え続ける人でありながら自分を損ねないルールが必要だと思っています。
自分のしたい範囲なら徹底的にギブする。でもその範囲を超えて求めてくるなら切るよ、という感じでしょうか。
やはりある程度の線引きは大切だと思うのです。じゃないとどんどん要求が過剰になり、搾取され続けてしまいます。
不運で悪いことを食らわされることもある
たとえ与え続ける人生だとしても、不運で悪いことをいきなり食らうこともあります。日ごろから良い行いをしているからといって、事故に遭わないわけじゃないですし。
すべて良いことが降り注ぐと思っていると、少し痛い目を見たときにひねくれます。「やってられるか!」となるかもしれません。
なので根本的な考えを変えたほうが一番いいですよね。やはり見返り前提のギブだと、たった1度の不運で考えが変わりやすい気もします。
私はとにかく数字を伸ばすのが好きなのと、コンテンツづくりに集中するのが趣味です。結果としてその先に、多くの人がいる状態なのでしょう。
まとめ:されたことを返したくなるのが人なら自分のあり方で環境は変わる
ただしすべてが好転するわけではありません。あと搾取しようとする人もいますしね…。
自分の範囲でどんどん提供できる人が良いかと思います。