同じような意見を持つ人と話をしていて、盛り上がることありますよね。でも意外としっかり調べていなくて、ふんわりと雰囲気だけで決めていることがあります。
ほかにも否定している人がいて、根拠を持たずなんとなくで否定している人もいるじゃないですか。気にならないのかなぁって思うんですよね。
根拠を持たずに否定したい人は中身なんてどうでもいい!ただ否定したいだけ
ただ否定したいだけの人、いますよね。そういう方にとっては、根拠なんてどうでもいいんだと思います。
なので中身について話し合おうとしても、全く話が合わなくなるでしょう。相手は否定したいだけなので、整合性なんて考えていません。
話が合わない人に時間を使うのは無駄
なにか根拠があって伝えているならわかるけど、そうではない場合。なんとなく気に入らない、という考えを持つ人もいます。
そういう場合だと、まず出発点からして違うわけですよ。見た目上はAについて話していても、実はAに見せかけたBを話しているという。
つまりどこまで行っても交わることがなく、結論は確実に出ません。話を寄せてくるから余計に厄介です。
早い段階で結論が出るか出ないかを判断できなければ、無駄に時間を費やし続けるでしょう。
疑問だけど調べない人もいる
あと意外に多いのが「なんとなく」で否定している人。気になるけど根拠を調べようとしないので、返ってくる答えが曖昧です。
しかもよく聞いてみると、○○が言っていたから~という答えをする人も。その発言者は専門家でもなんでもなくて、ただの親しい友人とかね。
確かに根拠を調べすぎるのもどうかと思うけど、調べなさすぎるのも問題です。気にならないのかな?って思っちゃうほど。
ただ思ったより多くの人は、そういうふんわりした情報で判断しているのでしょう。
思ったより人はふんわりしている
最近人は思ったよりふんわりしているんだなーと思う機会があります。明確に目的と行動が一致している人は少なく、気分や感情で決めている方が大半です。
まぁすべての物事に対して一致させろ!と思うわけではなく、ふんわりしていても全然構わないと思います。
ただせめて自分が明確に成し遂げたいものとか、意思を持って否定するものくらいは…と思う所存です。
想像以上に流されたり、ふわっとしていたりする方が多いなぁと。
まとめ:疑問に思うならその疑問を解消する行動くらい取ってもバチは当たらないと思う
私は性格上、疑問に思ったらとことん追求します。非常に厄介な性格という自覚があるため、万人におすすめはできません。
しかしせめてもうちょっとだけ疑問を追求しても、良いんじゃないかなぁと思う事例が多いですね。