うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

徹底できない人が自分にも他者にも徹底できるはずはないと思う

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ルールといっても守るかどうかはその人次第ですし、正直法律を違反しなければ罰せられることもありません。悪くて信頼関係を崩すくらいでしょうか。

ただルールって守るためにあるんじゃなくて、一定の規律を作るためのものだと思っています。なのでここを間違えると、ルールそのものでガチガチになりそうです。

自分の中で規律がない人は他者への徹底もなかなか難しい

単純な話、自分の中で規律が甘い人は他者にも甘めです。ちなみに規律は抽象度高めで、ルールはより項目を具体化したものですね。

ただ規律への意識が高すぎても、ルールへの捉え方が違うと融通利かない人になります。

規律が統一できればルールは必要ない

極論、統一できる規律意識があればルールは必要ないと思っています。ただわからない人がいるから、あえて具体化したものがルールみたいな。

具体的な項目を守るのは大切だけど、個人的にはそこが重要じゃないと感じています。あくまでガチガチに守るものじゃないと。

ときにはルールを守りすぎることで、損害が生じてしまう場合もあるでしょう。しかもルールを守ったという大義名分も作れますし。

ちなみに破ったら即アウトみたいなのは、もはやルールの域を超えています。法律とかなんとか名目が変わりますよね。

中途半端な徹底が一番厄介

ルールそのものより、中途半端な徹底が一番規律を乱すんですよね。どうもルールを守りすぎる人や、ルールへの解釈が違う人は中途半端になりがちです。

まぁ見えているものが違うのかもしれません。ただ先を見通せば、どんな結果になるかってことは容易に予測がつくはずです。

日によって態度が違ったら、不信感を抱くじゃないですか。あの感覚と似たような感じじゃないかと思うんですよね。

とはいえ規律っていうふんわりしたものを伝えるには、やはりルールで周知させるしかないです。その上で学んでほしいけど、なかなか難しいのかもしれません。

まとめ:ルールの先に規律がある

ルールを守ることに傾倒していれば、おそらくその先にあるものがわからないかもしれません。

あくまでルールはあえて具体化したものなので、その項目を一定値で守る集団…みたいなのを意識していただければ。