何かと耳障りがいい言葉だけを口にする方、いらっしゃるじゃないですか。別に悪いこととは思いません。
ただその考え方を芯がない人に言って、問題の切り分けをできなくするのはよろしくないです。
耳障りがいい言葉は問題と向き合う機会をなくして同じミスを繰り返しやすくなる
私が大切にしているのは「同じミスを繰り返さない」という部分です。なので感情的になるのではなく、事実を淡々と突き止めていく必要があります。
その際に耳障りがいい言葉で流れを止められると、何が問題なのか?という部分がどこにあるか分からなくなるんですよね。
問題の切り分けができないとミスを繰り返しやすい
例えばよく転ぶ…という問題があるとするじゃないですか。身体的な問題なのか、不注意や精神状態、環境といったあらゆる問題がありますよね。
ここで「何が問題なのか」を突き止められないと、対策を打っても効果が薄くなっちゃいます。
不注意が原因なのに、下肢筋力のトレーニングだ!なんて対策をしたところで、問題は残り続けるでしょう。
まぁ微妙な例え方ですけど、問題をしっかり特定するのは大切って意味です。特定ができないと、同じミスを繰り返しやすくなります。
耳障りがいい言葉を言う人は責任を取らない
耳障りがいい言葉ばかり使う人は、逃げ道へ誘導していることが多いです。気にしないのが一番!とか言って、ラクなほうが良いよと伝えています。
でもその結果、周囲が迷惑を被る状態までは想定されていません。当然ですけど、その考えを信じて被害が出たら、迷惑を受けるのは本人と周囲です。
まぁ発言するだけなら良いんですけどね、考え方自体を否定するわけじゃないですし。ただ耳障りを良くしながら、さも誘導しようとする伝え方はどうかと思います。
責任を求めるのも違うけど、その誘導でどういう未来が訪れるか?という点から予測すると、やはり事故が起きやすい方向で無責任に感じてしまいます。
まとめ:自分が良くても他人が良いとは限らない
耳障り良くして言っている方は、悪意がないかもしれません。だからこそタチが悪いなぁと思っちゃうんですよね。
実際のところ、しっかり考えている人に対して「深く考えないほうがいいよ!」と言っているようなものです。