うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

同じ○○として情けない、ありえないって言いつつ勘違いしている人は多い

なんかよく相手を非難する際に、同じ○○としてありえないとか。情けないとかって言う人いるじゃないですか。言葉自体は全然問題ないです。

でもたまに、「えっあなたが言うの??」って人けっこういますよね。しかも非難する文章から矛盾が生じている例もあり、微妙な気分になることがあります。

まるでさも自分が代表格みたいな言い分をしつつ本文で同じことをしてしまう不思議

同じ○○として、という内容。まぁ例えば同じブロガーとして〜みたいな?いや確かに同じカテゴリー内で足並み乱す人は、嫌だなって思うのはあります。

責任や自分なりの信念を持ってやっている人なら、自然と同じカテゴライズされたくない意識が芽生えるでしょう。でも調子乗っちゃう人は別かなぁと…笑

自分が大きくなった気になるのでは

大きなカテゴリーを背負うほど、素晴らしい活動をしているなら別です。まぁすごい活動していなくても、自覚があって正しく在ろうとする人なら全然問題ないかと。

けど他者を非難する際に、わざわざ大きなカテゴリー背負ってくる必要あります?って思っちゃうんですよね。

実際のところ、非難した人ってそんなに影響受けてないと思うんですよ。だから○○は…と蔑まれた経験があるんでしたら、一緒にするな!と言っちゃうかもしれません。

その割に発言が一方的で決めつけが多いし、あまり根拠がない。詳細を辿っても、どういう活動をしているか分からない人…みたいな。

カテゴリーじゃなくて自分で勝負すれば…

例えば業界全体が悪い印象になっていて、どこに行っても変な印象を持たれるなら話は別です。(私が見かけたのは全然そんなことない分類でした)

しかしそうじゃないのであれば、カテゴリーで勝負する必要は無いのかなぁって思うんですよ。本当に打ち込んでいる人は、カテゴリーに関わらず支持を得られますし。

さらに言えば他者なんて全く関係ないです。自分の提供できるものをどこまで出せるか、そんなところじゃないでしょうか。

あくまで比較は現在位置を知るためのもの。その比較自体がすべての判断基準になってしまえば、極端な話みんなサボったらサボるって話になりますよね。上がれば上がりますか?

まとめ:変に自分をカテゴライズするもんじゃないと思う

確かにカテゴリーは誰かへ伝える際、非常に便利です。一発で分かりますし、自覚持ってやるなら手っ取り早い手段でしょう。

でも正直、そこで限界を決めつけるのもどうかなって思います。どんなにカテゴリー分けしても、自分はたくさんの側面を抱えているはずですし。