どうしても自分の作るものは、誰かの期待や世の中の流れに影響を受けます。もちろん良い面で影響を受ければ良いけど、たまに違う方向へ流されることもあるはず。
きっと誰かの期待に応えると、自分の作ろうとしているものは違う方向に行くでしょう。応えるふりをしつつ、フラットな目線を意識しなくてはなりません。
素材だけを見て自分が「こうしたい!」と思った感覚を常に意識する
なかなか難しいんですけど、基本的に素材を見た瞬間の「こうしたい!」が一番大切です。制限が多ければ多いほど「らしさ」は失われるし、窮屈すぎて嫌になる。
常に誰かの影響を受けず、自分の直感だけを優先するのは難しいです。とはいえその直感を信じると、わりかしいい方向に進むのは体験上知っています。
影響は大切だけど判断する瞬間は要らない
こう素材を見たときに、こうしたい!っていう瞬間があると思うんですよ。ただ次の瞬間に、「こうしたら批判が出るな…」とか。
そういう余計な影響があると、結局のところ自分の作りたいものが作れなくなります。余計な炎上を控えるのは確かに大事ですけどね。
要は最初にひらめいた瞬間こそ、一番熱量があって一番おもしろいはずなんですよ。その一番を、他者の余計な情報で惑わされてしまうと。
この判断は要らないなぁと思います。とはいえ醸成させる際に、他者の情報は必要なんですよね。
常に自分がどう表現したいか?である
何かを作ろうと思った際、「このネタはウケが悪いんだよなぁ…」と思うのは禁物です。もちろんたまになら、良いんじゃないかと思います。
多少は他者の求めていることって必要だし、営利目的なら選ばれないと意味がない。なので両者の隙間をどのくらい埋められるか、という部分が重要かなと。
自分が表現したいことって、需要がなければ続けるのは難しいかもしれません。しかしそのまま表現するのではなく、どう近づけるかが大事です。
いい釣り合いの取れる部分なら、自分の楽しさが需要に直結します。ただしのめり込みすぎると、他者の判断だけを頼りにしてしまう傾向です。
まとめ:フラットな目線って言うけど毎回同じ気持ちで判断するだけ
結局どこかに偏りが出ると、いずれも失敗に近づきやすくなってしまいます。偏り方がいい感じなら、もしかすると期待値を超えるかもしれませんけど。
こうしよう!と思った際に、中途半端な判断をしてしまうと微妙な出来栄えになってしまいます。