うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

自分の時間が貴重なのは分かるけど他人に価値を押し付けるのは違う

自分の時間価値を説く人がいますよね。「自分の時間はこのくらいの価値があるので、君には到底補えない」的なやつ。

まぁ自分にとっての価値を理解しているのはともかく、他人に押し付けるのはまるで違います。人それぞれ価値も違うし、役割も違うわけです。

自分の時間って大切だけどその価値を他人が理解できるはずもないわけで

確かにど偉い人とか、歴史的偉業を成し遂げた人なら、価値を理解する人は多いでしょう。でもどこまで行こうと、自分で使う時間こそが一番なんですよね。

役割の違いはあるけど、そこに優劣まで発生するわけじゃありません。そこを履き違えるのは少し違うよなぁ、とふと思いました。

自分で使う時間が自分にとって一番の価値

とにかく自分で自由に使える時間こそ、人生の中で一番素晴らしい価値を持っていますよね。そこは一番になるはずです。

他人の時間をもらうこともあるけど、一番ではありません。その浮いた時間で自分の選択を行えるから、価値を感じるわけです。つまり二の次。

どこまで行っても、自分の選択で自由に使える時間が最強です。まぁ価値観は人によって変わるので、もしかしたら他者には当てはまらないかもしれません。

他者がいなければそもそも使う時間は自分にしか無いので、相対的かもしれないですけどね。あまり突き詰めると哲学の領域に入り込みそう。

他人に押し付けるのはただのマウント

ひとまず思ったこととしては、他人に時間価値を押し付けるのはただのマウントだってことです。自分の素晴らしい時間価値を説いたところで、ふーん?ってレベルですよね。

ただ会社とかでよく、自分のほうが優れているって意味で使うことはあるでしょう。価値を他者に多く提供できているのは別にして、そこで人間的な優劣とは直結しません。

「私のほうが時給高い!すごい!」って言っているようなものです。突っ込みどころが多く、どこで勝負をしているのかは分からないですよね。

ふとそんな場面を見ていて、うーんって思ったのでした。時間の価値って、自分で好きなように使うのが一番価値あるんだと思うけどなぁ…と。

まとめ:時間泥棒とかはひとまず関わらないのが一番

関係ないけど、時間泥棒する人もけっこういますよね。ある意味では時間的な価値を知っていて、ないがしろにしている存在でもあります。

こういう方に関わると消耗しがちなので、早めに切るのが一番良いです。なかなか気づかないうちに、浪費していることもありますけどね。