うえのブログ

身の回りの気になった事を記事にすることが多いのですが、気付いたら雑学系が多くなりました。今のとこ一年以上は毎日更新しちゃってます(^o^)

頑張るということは見返りを求めることにつながりやすいと思った話

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自身でも頑張る、というのは自然と使ってしまうけど、実はほとんどの物事であまり頑張ってるつもりはありません( ˘ω˘)

 

ふと周りに頑張りをすごく強調している方がいて、そのやりとりを見ているとなんだか釈然としない。

 

それに対して、ふと思ったことを考えてみることにしたのです。

 

というか、普段から自分が考えていることでもあったので、まとめやすかったというか←

 

考えてみた結果、頑張るという言葉そのものの捉え方が見返りを求めてしまう考えになっちゃうのでは?と思った次第です。

 

 

そもそも頑張るってなんだろう

 

一般的には、特定の目標とか目的に対して努力したり忍耐してやり続けるみたいな。そんなイメージだと思ってます。

 

でもよく、頑張るって自分で認めるものじゃない。周りが決めるもの。と言われるじゃないですか。

 

確かに結果だけを見れば頑張るとか努力するというのは当然のことで、むしろ他人が思っている以上に力を注がないと結果は出ないというのはわかります。

 

時と場合によっては過程も大事になると思いますし。

 

なのでここでは、ある一定の目標がある状態。しかもその目標は誰のためでもない、自分のために努力を続ける過程という仮定で考えてみます。

 

努力は必ず報われるという言葉

 

頑張るつながりで努力は必要だと思いますが、その際に努力していれば必ず報われるという言葉があります。

 

私は継続するしか能がないタイプなので結構この言葉は好きなのですが、冷静な自分が見ると「んなこたぁーないな」って思います。

 

まず、努力しても報われないことはたくさんあります。

 

努力の方向性が間違っていれば望む結果にたどり着かないことはよくあるし、間違っていてもそこに気づいて軌道修正できなければどんどん本筋から逸れていきます。

 

次に、必ず報われるって思うということは、見返りを求めていると思いませんか?

 

見返りを求めてないなら、努力という言葉すら意味合いが違ってきます。

 

見返りを求めてしまうとどうなるか

 

見返りを求めると見返りありきの行動になってしまって、「こんなに努力したから、これくらいはしてもらえるだろう」とか「これだけ頑張ったからこれくらいは見返りがあるだろう」なんて考えになっちゃうかと思うのです。

 

でも自分がすごく努力したとして、期待通りの見返りがなかったら?

 

「なんでこんなに頑張ったのに、報われないんだろう?」とか「どうして○○してあげたのに●●してくれないんだろう…」となり、そのうち相手やなにかに恨みを抱えてしまうことに…。

 

ある程度、抽象度を高めると様々な事柄や人間関係にも言えることですね。

 

見返りを求めること、というのは非常に危険なことだとも思うのです。

 

じゃあどうするのがいいのか

 

実際に自身が思ったりしてることで意識してるのは、「好きでやってる」というところですね。

 

誰かに好意で何かをするときは、なんとなく役に立ちたいからとか。その人が好きだからとか。見返りは一切求めてません。

 

あとブロガーっぽくブログで例えるなら、収益やPVという見返りを求めて記事を更新はしていません。そうなると苦痛になるのは目に見えてますし。

 

だから記事ジャンルは固定しないし、自分の好きなときに好きなタイミングで書きます。とか。

 

なので毎日更新が出来ていると思うんですよねー。このへんは記事更新は毎日すべき?もっと自分に合った継続法を知るべき。自分ルールの大切さを説いてみるも参考にしていただけたらと思います。

 

仕事だとなかなか好きだと思えない部分もあるので難しいですが、それでも見返りを求めるのと求めないのじゃ苦痛度がエライ違いかと思われます。

 

 もうちょい踏み込んで見返りを求めてしまう理由を考える

 

小さい頃から備わっている考えというか、よく言われていたことでしたが「人に親切にすると親切で返ってくる」みたいな。

 

あと、助け合い(これをしてもらったから、お返しをしなくてはならない)とか。

 

恐らく日本人に根強い教育とか文化としてこういう考えがある分、見返りというものはすごく深い部分で結びついているのかなぁと思います。

 

(ちなみに私は無礼者だったので、お返しという文化が大嫌いでした。早くから年賀状は書かなくなりましたし、○○さんにこの前親切にしてもらったでしょ?という言葉によく反発してました)

 

根付いてる部分は強いと思いますが、そうしなくてはならない意思というか。

 

そうしないと子どもは親から嫌われるとか、受け入れてもらえないとか。そういった教育を受けてきた部分とかあるのかなーと深読みの憶測です。

 

自身の補足として

 

上記でお返し文化は嫌いとお伝えしましたが、全くお返しをしないわけじゃなく見返りを求めないことは好きでした。

 

母には「この前○○さんに服買ってもらったでしょ!」と言われれば「○○さんが勝手にしてくれたことだもん!」と返してました。

 

今思うと勘違いされやすい言葉ですね…要は好意を持ってしてくれたことは嬉しいけど、それ自体はもう別の話。

 

私は私で何かしたい時に個別にするよってことを言いたかったのでした。

 

まぁ…ある程度お返し文化に染まらないと不都合があちこち生じるというのは、さすがに分かってきましたが(;˘ω˘)

 

個人的にはギブ・アンド・テイクよりひたすらギブのほうがいいです。いちいち見返り期待してたらストレス溜まりまくるかと思いまして。

 

 

まとめ

 

頑張ろうとすればするほど見返りを求めてしまう、努力や継続は必要だが見返りは求めないように「好きでやっている」という感覚が必要と思う。

 

まぁ理想論ではあると思いますけどねー( ˘ω˘)

 

要は何事も楽しんでやれるか?ってところだと思います。楽しいことって見返り求めてないじゃないですか、あるとすれば自分が楽しいからそれを求めるみたいな。

 

そしてそれは難しいという状況でも、どこまで近付けるか。徐々に見返りを求めてしまっても、気付けるか軌道修正できるか。

 

私は仕事だとなかなか難しいのですが、感覚を麻痺させるという術は学びました。適度に使えると基準が下がって楽しめたりすることが増えるのです( ˘ω˘)

 

オススメは出来ませんが。笑

 

 

 

 

ではでは(`・ω・´)ゞ