割と勘違いされることは多いと思っているのです( ˘ω˘)
新しいことを色々と覚える過程での話ですが、決して自慢ではなく覚えが早いとか色々こなせる的なことを言われる事があります。
投下している時間の違いです( ˘ω˘)
ちょっと愚痴っぽく自分の考えをまとめようと思うのです。
言葉の違和感
まず、自身が一番わかっている事なのですが。
私はとても不器用だし、覚えが悪い。そして変なこだわりがあるので、恐らく人一倍は努力をしないと何もこなせないのです。
才能も、周りと比べれば何一つとしてない。
マイナス思考な考えではなく、客観的に見た話とこれまでに得てきた経験を元に思うことです。
ようやく最近になって、人並みに出来ることは増えてきたけど…それでも新しいことを始めると過大なストレスと自分の不器用さにいつも一瞬は嘆くのです。
唯一、それでもやるかやらないかという思考に至れたので、そこは良かったことです。前向きに取り組むことが出来るので( ˘ω˘)
なので未だに器用だね、という言葉を聞くとすごく違和感を覚えます。
反論したいこと
かつては人一倍できなかったからこそ、申し訳ない気持ちが強かった。
どうしようもない時は、諦めてふてくされる事が多かったのです。
けどそうも行かないことって多いじゃないですか。
一番は新規のお客様宅を訪問するときですよね~、関係者やお客様に迷惑かかるプレッシャー。
あ、私は関係者の全員が認めるほど恐ろしい方向音痴なのです。
行く前に「ちゃんとたどり着けるんだろうか…???」という手に汗握る展開を毎回迎えていました。
(だからGoogle Mapってほんと革命的な発明だと思っているんですよ、地図さえもよくわからないやつなので…)
なので、事前に情報が分かっていればよく業務終了後に何回か往復して確実に行けるよう道を覚えたのでした。
まぁ…それでも昼間と夜で景色が全然違っててかなり苦労したんですけど、行かないよりはマシ。
点と点がつながる瞬間とか
でも、それを繰り返しているとだんだん道を覚えてくるんですよ。
あ、この道は確か前行ったお宅が近いなとか。
こんなに不器用でも、時間をそれなりに投下すればちゃんと覚えられるんだな~とわかった瞬間でした。
しかも、ある程度は応用が利きます。
(けれど、相変わらず地元はわかんなくてですね…仕事で関わったところだけしっかり覚えているのが、やはり自身の不器用なところだなって思います)
今も未知の領域だらけ
結構覚える事が多いので、物覚えが悪い分すごく時間がかかるんですよ。
この時の経験を活かして、とにかく覚えるべきことはひたすらやるんです。残業は自由なのですが、忘れないようにそこそこ時間を費やしてる気がします。(転職した意味)
でも多分、その瞬間ってほぼ誰にも見られてない。
だから、結果だけを見て器用だとか言われるんでしょうねぇ。あ、そういうことか。
本当に才能のある人とは違う
身近にも居ましたが、他にも才能のある人ってたくさんいます。
そんな人達と比べてしまうのですが、やっぱり元々すごく適している才能を持ってる人って全然違うんですよ。
なんなくこなしちゃうスピード感が全然違う。
私が苦労して出したものを、次の瞬間には難なく上乗せしてくる感じですよね( ˘ω˘)
「○○が出来るって才能だからね~」
つい最近、私が苦労して覚えたことに対して言われたセリフなのですが
コレを覚えるのにどれだけ時間と苦労を投下したか知らないでしょう。
才能で片付けるとはふざけたやつめ(#˘ω˘)!
と思ってしまったのです。
才ある人達となんだかんだで一緒にいる機会が多かったので、自分がその位置に持っていかれるとすごく腹立たしい気持ちに襲われるのです。
続けるとすぐ分かる
ブログなんかもそうなんですが、一年くらい運営してるとすぐ同じ期間でも自分をサッと数字で追い抜いていく人がたくさん現れます。
まだ数字が出てなくても「あれ、この運営期間でかつての自分がこんな意識持ってただろうか…」と思う才能の片鱗を感じる人もいますし。
なので私は、わかっていながらそこで焦らず続けることしか出来ないのです( ˘ω˘)
そしてそれは才能でも何でも無くて、わかっているから続けられるとも言えるでしょう。
そうしないと、逆に何もできないというか。
まぁブログに関してはこうやって考えをひねり出したり、自分の習慣として活用している部分が大きいですが。
まとめ
自分には足りないものだらけ、もっと頑張るしかない!という話ですね( ˘ω˘)
別に押し付けではないんですよ、才能と言い放った瞬間にその人がそこで諦めているのも仕方ないと思いますし。
やる人はやるんだと思います、ただそれだけかなって。
ただ自身の頑張りが足りてないのに、才能の一言で片付けられるのは非常に嫌な気分になるものです。
ではでは(`・ω・´)ゞ