うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

センスは生まれ持ったものじゃない?知識の集積と思ったりすること

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全般的にセンス無いうえの(@uenoyou111)です( ˘ω˘)

 

今日は雑学的な話では無く、思ったことをつらつら述べる内容です。

 

ブログを始める前、ファッションや絵、文章力、考え方などなど。いわゆるセンス(定義は曖昧)を必要とされる全般で全く自分には備わってないと見ていました。

 

もちろん今でも変わらないのですが、多少の変化を感じる部分を考え込んでみようと思った次第です( ˘ω˘)

 

 

自身を客観的に見て

 

まず、アレンジが非常に苦手と思います。再現性とか、見たままのものを正確に写し取ろうとする考えが根本だと思います。

 

(ここで言うセンスは、写し取ったものを自分なりに個性として表現することです)

 

つまり模倣は出来ても、自分なりに表現するのが苦手。

 

基本が出来ていないのに自分なりにアレンジするとか、おこがましい。なんて考えもあったりします。

 

後から身につけたもの

 

ただ、今は普段から「自分だったらどうするか?」を考えています。

 

これは後から身につけたもので、何も考えなければただ模倣で終わる思考回路です。

 

最近気付いたことですが、自分なりに工夫してみるという考えは「そこが足りてないから」と強く自覚したから生まれたんだと思います。

 

基本に忠実過ぎると、発展することがおざなりになります。これは上記の考えを貫き続けて気付けた事かもしれません。

 

(だから自分を客観的に見ようとしたり、心理テストが好きだったりするのかもしれません)

 

自分を知って、気付いたこと

 

発展することを考えるようになって強く実感したのは、センスは持って生まれたものじゃなくて「身につけるもの、磨くもの」じゃないか?ということです。

 

当然なことであるかもしれませんが、センス無いと自覚してる人ほどここに到達するのはなかなか難しい。

 

ブログで言うなら、文章のセンスは未だに低いし回りくどい言い方が多数ある。でも表現することだけ一丁前に覚えてきた。

 

それでも、今の自分がブログ始めた頃の記事を見ると圧倒的に稚拙なのがよく分かります。

 

続けて来たことで、磨くことは稚拙なものも個性的なものとして表現できるようになる、ということに気付けた気がします。

 

どんな形でも、形にすると実になる

 

特にブログなんかは色々な方が見るので余計に意識します。すると完全秘匿な日記よりも得られるものが大きいです。

 

あと会話でも、大筋・本質と考えたり脱線したら「あ、今は小見出しかな」とか、ちょっと機械的だけど整理されて考えられるようになったり。

 

(簡単に言えば口がうまくなった感)

 

口がウマイ人のセンスはすごいなーと思っていましたが、僅かながらでも近づけてるのはそういうことなのかなぁと。

 

 

センスがいいって?

 

なんとなくぼやっとした状態でスタートしましたが、そもそもセンスって何だろう?

 

実はしっかり答えが出てないのですが、単純に他者が「これはいい!」と思える個性なんだと思います。

 

だから、如何に自分を知っていてよく魅せる為の方法を知識として備えているか。

 

流行を取り入れることとか

 

誰かが作り出した流行というのも、本質部分を掴んだ上で自分に合うもの取り入れる。

 

他者が仕掛けた流行を取り入れても尚、自分を表現できるのは自分を知っているから。

 

もしくは自分に合うものを選択できるから。

 

うーん、奥が深い( ˘ω˘)

 

 

まとめ

 

まず思うことを形にする、そうすると整理される。そして足りない部分を知って得る。

 

こうやってブログ習慣が付くと、無かった頃に比べて自身のセンスがどんどん磨かれていくと思っています( ˘ω˘)

 

まずそもそもブログを続けられる人がごくわずか、と言われる中での交流ですから。

 

そりゃすごい人達ばかりですよ(;´∀`)

 

刺激をもらって自身に置き換えて深めていく。なかなか良いなぁ~と思うのでした。

 

 

 

 

ではでは(`・ω・´)ゞ