隙間があってはならないとか、詰め込むのが良しとされる考え方って割と若いころにありがちな気がします。(年齢ではなく)
文章も過剰な修飾より、シンプルな動詞が際立つと感じる話です。
→読者の気を惹こうと飾りすぎた言葉は逆に信用されないと感じる
余白を楽しむというのはデザインではなく人生そのものにも当てはまる
余白と聞けばデザインや白紙、視覚的な情報を連想します。
しかし「余白を楽しむ」本質的な思考は「物事の引き算」をどんな側面で捉えるか、という部分が強いです。
人に伝えるときは足し算より引き算
私は副業でWebライター×編集を行っており、自分の傾向として「文章を足し算で考えていた」ことが多かったです。
フィードバックで学んだことは、「引き算で考えると内容が伝わる」。今までの足し算思考では、わかりづらい文章を多く生み出していました。
日常でも情報過多より、大切な部分をシンプルに伝えたほうがわかりやすいです。
より少なければ選択を間違えない
まさに2020年8月現在の当ブログは、足し算思考でいた時代を反映しています。
過去記事は自分が良いと思ったものをたくさん詰め込んでいるし、デザインも装飾過多です。
そして過去の自分を比較してみると、多くのものから選り分けるのが良いことだと昔は思い込んでいました。
選択肢は少ないほうが良いですよね?昔の自分はいたずらに選択肢を増やしていただけです。
引くという行動は失うことに感じられて恐れる人が多いのではと思う
自身はまだ引き算という思考に感づいている程度なので、失う恐れは十分理解しているつもりです。
しかし文章では容赦なく引ききれるため、矛盾が生じます。
自信がないと足していこうとするかも
足そうとする思考を客観的に考えると、自信がないときに多いかなと感じました。
- より大きく伝えたい
- 失わないようにする
私がライティングで本業の収入を超えたとき、「この利益を維持するにはもっと売上を伸ばさなきゃいけない」と危機感を抱いた思い出があります。
だからこそもっと規模を大きくできましたが、やはり引く思考ではありません。
引く=失うことではないという思考
足していく思考は正直、疲れやすいです。執着が増え、自分の使える時間も限られていきます。
そう考えると引き算の思考は、つまり「余計な執着をもたない思考」ではないでしょうか。失敗への恐れも、余計なプライドや意地も。
余白を楽しむのはそこに引き算があって、本質は執着にあるのかなと感じています。
まとめ:余白を「楽しむ」だけなので引き算しすぎると空白になる
それでも私は結果を出していくのが楽しいし、余白を取り入れながら最適な選択をしていきたいです。
足し算思考に傾倒しがちなので、引くことも大切と感じました。