うえのブログ

気になったこと、思い立ったこと、調べてみたことなどを書き留める場として使っています。

習慣化しているものでも思考停止し続けてしまうと悪いものになる

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継続して習慣化しているもので、その習慣は良くないんじゃない?と伝える場面がわりとたくさんあります。

その際に出てくる言い訳が「なんとなく」とか、「今までやっていたから」という思考停止が多いんですよね。本当に必要かどうかを見極めなくてはなりません。

思考停止して続けてしまう習慣は本人も効果をわかっていないことが多い

大抵の場合、私が指摘しているときってその習慣が微妙なときなんですよ。そういうときに「もっとこうしたら目的に近づけるんじゃない?」と提案します。

そして「なんでそんなことを続けているの?」と聞けば、惰性で続けているのがわかるんですよね。

なんとなくで続けると本人も疑問を持たない

もしかしたら惰性でなんとなく続けちゃう人は、考えるのが大変なのかもしれません。思考すると頭を使いますしね。

しかし頭を使うってより、「この作業は本当に効果的なのかな?」とふと疑問に思う一瞬の直感力だと思うのです。

確かにずっと続けていれば、常に思考を働かせるとか超大変。下手したらパンクするし作業に集中できないかもしれません。

ただ「なんとなく」の悪い部分は、本人が良いことだと思い込んで疑問さえ抱かないところです。毒にも薬にもならないから、余計に時間だけ浪費してたちが悪い^^;

一瞬でも疑問に対し行動すれば劇的に改善される

私が習慣化しているもので疑問に思う瞬間って、たくさんあるんですよね。このままで良いのか?とか、狙った効果は出ているのだろうか…みたいな。

そういうときは数字とか客観的な証拠のほか、似たような事例やものを見つけてもっと効果的になるかどうかを検討します。

常にブラッシュアップしていく感覚ですね。同じ習慣化でも、ただ頭を働かせないで続けるより遥かに改善されていきます。

ブログに関してはこうやって考え方を整理するのに使っているので、毎日のトレーニングに近いでしょうか。情報の質で重量が上がります。

もっと自分の声を敏感に察知するといいかも

少し抽象的ですけど、自分の気持ちに嘘を付く人が多いなと思います。というのも本当は疑問を覚えているはずなのに、問題なしと自分を抑え込むような感覚です。

会社とかで嫌な仕事とか上司の命令とか、自分の気持ちを抑え込むのは処世術としてアリなのかもしれません。

しかし習慣化する行動まで嘘をついて時間を無駄にするのは、非常にもったいないなぁと感じてしまいます。

もっと自分の気持ちや感情を敏感に察知すれば、本当に自分がしたいこととかやりたいことが見えてくるかもしれないです。

まとめ:このままでいいのかな?と一瞬でも思ったらメモ取るだけでも違う

このブログで書く記事もそうなんですけど、一瞬の疑問や感情ってすぐメモに取るとだいぶ違うんですよ。そしてその思いつきには、鮮度があります。

時間経過とともに情熱が冷めていくので、注意が必要です。思い立ったらすぐ行動して改善すると、人生まで劇的に変わる可能性があると思っています。

ただ関係者にしてみれば、ウザったいかもしれません^^;